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朧の月(前編)



朧の月(前編)
(※色の違う語はマウスを乗せると、簡単な語句説明が出ます)
 
 
 今となってはもう昔の事だが、西の国で長くを務めた男が家族を伴って帰京した。
 齢を重ね、そろそろ都へ呼び戻してやろうという声が出たのだ。
 実直な人柄に任地での評判も良く、位を上げての栄転だった。 
 この男には遅くに生まれた息子が一人いた。
 男が任地に赴いてから持った子での育ちだが、教養高い彼が手塩を掛けただけあって、なかなかに利発な青年である。
 それだけに男も期待を寄せており、方々の伝手を利用して、息子のために近衛府に空きの席を見つけてやった。
 正七位将曹は決して高い位と言えないが、受領階級の若者が頂く官位としては立派な物。
 加えて青年は、縹色束帯が似合う凛とした容貌の持ち主だ。
 瞬く間に、彼は女房達の人気を集める処となった。
 その出身が枕詞に詠まれる「思い川」に近いことから、若い女の間では彼を「水緒の将曹」と呼び、密かに慕う者も多かった。
 
 
 月の満ちた、ある春の夜のことである。
 いつものように近衛として、将曹は宮中の警護を勤めていた。
 彼は至極真面目な質だったので、同僚達が仮床についた後も、いつも細までの見回りを一人行う。
 父が無理をして頂いた官位であるから、御勤めを大変な大事と考えていたのだ。
 また、いと尊き御方の御座所をお守りする仕事は、鄙より上ってきた若者自身にとっても大変晴れがましく感じられた。
 常には手元の灯りに頼りながらの巡回だが、この宵は酷く明るい。
 諸所に咲き優る春の花々は実に美しく、雅な方々の御為に造成された庭園も、今この一時だけは一介の近衛の目に独占される。
 温み始めた空気に漂う香は、質朴な青年をも惑わせんばかりの風情だった。
 しかし、そこにゆるりと動く影がある。
 寄り添っていた木から離れる事で、それはようやく将曹の目の注意を呼び覚ました。
 緩んでいた気を慌てて引き締め、彼は誰何の声を上げる。
「そこにおられるのは、どなたか!お答えあれ」
 内裏の庭に佇んでいるからには、貴人の可能性も高かったが、不審を見逃すわけにはいかない。
 それにもう丑の刻を回り、いくら宵待ちの御方々でも、そろそろ寝静まる頃合だ。
 腰の細太刀に手を宛がって、将曹は油断なく、影に近づいた。

「朧の月に、酔うていただけ」
 それは、酷く優雅な声。
「あやかしではありません。そのように、騒がないで」
 
 木の覆いから出でた人に、月が優しく光を注いだ。
 白光を吸い込んで輝く黒髪が、その女人の足元を越え、長い単衣の上にとぐろを巻く。
 その髪の豊かさが、彼女の高貴を証明していた。
 内裏の女人といえば、上の女房方しかない。
 水緒の将曹は相手の姿を見て取って、すぐさま膝を地に付いた。
 この時代に、貴い女性の姿を直に眺める事は大変な失礼に当たる。
「失礼、仕りました。高貴な方と弁えず、近衛の習いでつい騒ぎ立てして申し訳ない」
「…いいえ。咎があるのは、このような場所へ不用意に誘われて来た、わたくし」
 女性の姿を見るまいと伏せた将曹の後頭に、囁くような謝罪が降ってくる。
「今宵は、あまりに月が美しくて。あなたも、地よりも空を御覧なさい」
 彼に近づいてきた人が、ふわりと彼の肩に手を置いた。
 その衣の香りは、花よりも甘く濃密だ。いずれ高価な香であろう。
 しかし、それにしては、高貴な女性にあるまじき行動だ。
 触れてきた手掌に将曹は心底驚き、思わず顔を振り仰いでしまった。

 その目に飛び込んできたのは、朧の月。
 白い光。
 あまりに近くに月を見て、思わず目を瞬かせた将曹の前で、それは女の白い瓜実顔に姿を変えた。
 月と見紛ったのは、その背後から女を縁取る月光の悪戯だ。
 若者の柔らかい心では、抗うことも許されない恋の誘い。
 墨を刷いた切れ長の眼が、憂いを込めて、彼を見下ろしていた。
「今宵の月は酷く美しいと、あなたも思いませんか」
 月を見たくとも、彼女の顔に遮られ、その向こうの円は将曹の目に届かない。
 けれど、目前の月に似た女についてなら、確かに酷く美しかった。
 なぜ、そのように悲しげに問いを重ねられるか分からぬまま、青年は首を頷かせる。
 彼の同意に満足を得たのか、それでようやく、女人は彼のを離した。
 退いた身体の向こうから、将曹の視界に、白く大きな月が姿を表す。
 それは春の空気に周を滲ませ、確かに見事な朧月だった。
 しかしより美しいのは、天の月よりも、地にある月。
 もはや礼など忘れ果て、水緒の将曹は目前の高貴な人に見蕩れた。
 彼女はその不躾な視線にも、顔を扇で隠すことすらしない。
 消えぬ悲しみを眦に漂わせたまま、すっと挑むように目を細め、彼に応えた。
「わたくしは、美しいですか」
「はい。あの月と同じく。いえ、月よりも」
 鄙に育った将曹は、恋はともかくも、都の風流にまだ慣れない。
 とっさには歌を詠む事も思いつかず、ただ朴訥に女人の美しさを讃えた。
 そこには技巧でなく、ただ心よりの賛辞だけがある。
 だが、内裏の女房にそのような言葉が通じるだろうか。
 直ぐに己の失態を気付いて、青年の顔色は青褪める。
 しかし、その朴訥な物言いが気に入ったのか、馬鹿にする風もなく、貴人は唇を僅かに緩ませた。
「わたくしを月に喩える方は、他にもいます。だから、わたくしはあの白に心を惹かれる」
「あなたと比べるに相応しい物が、他にないからではありませんか」
「いいえ。わたくしが、あの月と同しく不確かなものであるゆえに、並び称されるのでしょう」
「月は確かでありませんか。夜にあれば、あれほど忘れ得ぬ物も他にありますまい」
 夜にあっても、その美しさに曇りのない彼女は、なるほど月そのものだった。
「けれど、月は日毎に形を変える。満ちも欠けもわずかに、常に人を今は何日かと迷わせます」
 月から陰が消えぬように、女人の顔から憂いは晴れない。
「いずれ日が変われば、あなたも、わたくしが何者であったか忘れてしまうでしょう。あの朧の月の如く、わたくしは滲んで、消えてしまう」
「私は決して…」
 あなたを忘れる事はない、と続けようとして、将曹は途中で言い淀む。
 繰言を紡ぐ人の意図を、推し量りかねたのだ。
 美しい人はその眼を細めて、彼を見詰めている。
 そこに見えつ隠れつする光は、何を誘っているのか。
 彼は、幸いか不幸か、それさえ見分けが付かないほど情を解さぬ男ではない。
 青年の見目に、これまでも、幾人かの女房が同じく恋の誘いを掛けてきていた。
 だがこの女人の求めは、彼の知る過去の物とは、少し色が違った。
 こんな寂しい表情で、彼を誘う女性はいない。
 いや、違和感を覚える理由は、彼がこの女性に惹かれているからかもしれなかった。
 いずれにしろ、彼はその先に発するべき言葉を失っていた。
 そんな将曹に、彼女は再び手を触れてきた。
 今度は、彼の顎先に。
「わたくしを、忘れますか?この日ばかりの、月であったと」
 先ほどよりも強く、甘い花の香りが青年の鼻腔をくすぐる。
 高貴な女人の指の腹は、柔い綿よりも優しい感触だった。
 その柔らかさが、彼の逡巡を吸い取っていく。
 
 細い手首を握って引き寄せ、水緒の将曹は、腕の内に細い身体を抱き込んだ。
 香が、一層と匂い立つ。
「私が、あなたを見分けられないなどという事は、決してありませんよ。麗しい方」
  
『月夜には それとも知らず 梅の花 香をたづねてぞ 知るべかりける』

 求愛の歌を詠みあげ、彼は仰向いた白い顔に口付ける。
 それは香に劣らず甘い。
 重ねた唇の間から、女人があえかな吐息を漏らした。
「香を追っても、わたくしに辿り付くことは無理」
「ならば、名を追いましょう。お名前を教えて頂けませんか」
「これは朧の月が見せた、春の夜の夢。短い夢。束の間、好きな名でお呼びなさい」
「…では、朧月の君と。私は」
「知っています、水緒の人。万葉の唄を思わせるあなた」
 
 
 
 そしてまた一つ、平安に密かな恋が生まれた。
 位のない若い近衛が、内裏の女房に恋をした。
 それは行方の知れぬ恋。
 夜が明けて、将曹がその褥で目覚めた時、隣の温もりは疾うに消えていた。
 衣の一つ、髪の一本、残り香すらも留めずに、その人の姿はもう見えない。
 せめてもの縁は「月」と喩えられる人と言う事だけ。
 七位の官が殿上に上がる事などありえず、内裏は警護以外では遠い場所だ。
 諦めたほうが良いのだろう。
 諦めなければならないだろう。
 逢瀬は一度きりで、それきり佳人の姿が将曹の勤める庭園に現れる事はなかった。
 それで消えてしまう想いなら、何ほどの物でもない。
 だが月は日毎形を変えつつも、空に昇る事を忘れず、青年に恋の面影を焼き付ける。
 
 やがて彼は人の伝手に、内裏の女房について噂を求めた。
 登花殿に、月を擬えた名で呼ばれる女房が御仕えしているらしい。
 それは、中納言の二の姫と三の姫。
「二日月の君」「三日月の君」と世の公達が讃え、こぞって文をつける姉妹。
 彼女達は、鏡を挟んだようにそっくりな面差しの双子の姫であった。


→中編
 
 
+++

微妙に不発。
書き直すかもしれませんが、とりあえず(コラ)
久々~にハッピーエンドの予感です。

参考文献;『カラーワイド新国語要覧』(高校生活の遺物)

使用和歌;
◇『月夜には それとも知らず 梅の花 香をたづねてぞ 知るべかりける』
(古今和歌集/巻第一/春歌上40/躬恒)
大意;
「月光の白に紛れて、月夜に梅の花は見分けがつきませんが、香りを追えばその場所を知る事ができますよ」


 
 
 


テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学


【2006/02/05】 | 小咄 |

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