小咄未満。全てフィクションです
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10. 追い詰める



 

10. 追い詰める

 
 小原翔太は、子供の頃、蟻を指で潰すのが好きだった。
 指の先でもがく無力な足を、胴体ごと一息に潰す。ぶちりと小気味良いくらいの触感を残して、そいつらは千切れ、臭い残骸になった。
 無様に動いていた黒い点を、ただのゴミに変えてやる達成感。ゴミはゴミらしく、臭いごとティッシュになすりつけて、屑篭に放る。
 一つ違いの姉は虫嫌いで蟻を怖がったが、彼女のそういう態度が、翔太の達成感を更に煽り立てた。三つやそこらのガキにとっては、小さな虫もそれなりの好敵手だ。それに対して圧倒的な力を持つ自分を、彼は怯える姉を見て確信していた。
 翔太は、優れた子供だった。
 母親は傍目にも明らかに姉より翔太を可愛がり、彼のおもちゃにはいつも望んだ物が揃っていた。塾にだって誰よりも早く通い始め、そこで当然のように好成績を収める彼を、母親は色々な場所で自慢していたようだ。
「翔太は、他の子よりずっと凄い子なのよ」
 母の口癖は、彼の中に刻み込まれた。
 翔太の家は曽祖父の代から医者の家系で、父親は町でも大きな総合病院を経営している。看護婦あがりの母は、利発な翔太を生んだ事で、ようやく親戚から認められたらしい。
 中学に入ったあたりで、そこら辺の事情に気付いて、彼の中で少し母の地位が落ちた。それまでは母親に褒められる事が一番嬉しくて、もらった賞状も成績表も全て彼女に一番に見せていたが、あんな安い女にそこまで懐いていた自分が今では恥ずかしい。
 翔太は優れた人間なのだから、母親のような女が尽くしてくるのは当然なのだ。
 滅多に家に戻らない夫が顔を見せるたび、彼女は使用人のような甲斐甲斐しさを見せる。それを鼻にもかけない父親の姿に、翔太は自分がとるべき態度を知った。
 要は、蟻を潰すような話だ。
 翔太は常に、優位を確信していればいい。
 
 中高一貫教育の私立学校には、それなりに出来る奴も多くて、翔太の成績もそれまでのように楽に行かなかった。悪い成績とまでは言わないが、芳しくはない。
 中二で入部したバスケ部で息抜きしていたせいもあるだろう。合同で練習する高校生の部員は、遊び方ってものを良く知っていた。それを教わるのに忙しかったのだ。
 母親は部活でいつも遅くなる翔太が不満らしく、成績が落ちている事も気に食わないらしかった。
「翔太はやれば出来るんだから、もっと頑張って。いい子だから」
 鸚鵡のように同じ小言ばかりたれて、彼を煩わせる。「やれば出来る」のなら、いつかやるから放っておいて欲しいものだ。
「わかったよ。次の定期は気を入れるからさ」
 頷くだけ頷いて、適当な返事をしていると、そのうち彼女は飽きて出て行く。あれは、人を暇つぶしに使っているだけだ。本気でイラつき怒鳴って追い出しても、しばらくしたら懲りずにまたやって来る。彼の考えている事など、案外、母にとってどうでもいいのかもしれなかった。怒る分だけ、アホらしい気がしてくる。
 やはり溜まったストレスを発散するなら、ダメージを受けてくれる人間じゃないと面白くない。
 蟻を潰すような話だ。
 見た目は物凄いブスのくせに、やたら成績だけ良くて翔太の鼻につく女子がいた。仲間と組んで、通りすがる度に「ブー」と、そいつにだけ聞こえる程度に呟いてやる。
 ブスはブスらしく、大人しくしてろ。視界に入るな。
 そういうちょっとしたイラつきを彼がぶつけてみたら、すれ違いざまの「ブー」だけで、その女は見る見る大人しくなった。翔太達が近くにいるだけで、怯えた顔をする。
 ようやく自分の立場が分かったようだと彼が満足していると、ある日、担任に呼ばれた。
「お前、衛藤を苛めているだろう」
 衛藤というのは、例の女子だ。その母親が学校に連絡してきたらしい。
 ほんの「ブー」ごときで、大袈裟な話だった。いじめってのは、こんなもんじゃない。
「んなこと、するわけないっすよ。衛藤さん、何か誤解してんじゃないですか」
 嘘をついているという罪悪感もなく、翔太は朗らかに笑ってみせた。こういう時には、彼の年齢より少し幼い顔立ちが役に立つ。笑顔は幼いほど、説得力があるのだ。
 担任は単純なのか、踏み込むのが面倒だったのか、それ以上突っ込んで来る事もなく翔太を解放した。その後に話すと、彼以外の仲間達もやはり教師に呼び出されたようだった。
 気に入らない話だという事で、皆の意見が一致する。
 少しだけ、衛藤に対する風当たりを強くすることになった。衛藤が部屋に入ってくると、窓を開ける。「バツゲームなんで、一緒に写真とってもいいっすか」なんて声を掛ける。「ブー」ももちろん健在だ。
 仕上げに、翔太はクラスで付きあっていた恭子にも協力させた。女子の間でも、それとなくハブにされればいい。
 どれも大した事ではなかった。問い詰められたとしても、彼はいくらでも言い逃れ出来る。身の程知らずに足掻く蟻を潰すのに、翔太がダメージを食うのでは割に合わない。
 ついでに、担任にも嫌がらせしてやった。
 日替わりで担当を決めて、担任の家に無言電話を掛けてやるのだ。皆で千円ずつ出し合って、プリペイドの携帶を持ち回りした。どうやら担任は実家住まいらしく、深夜に掛けても出るのは本人ではなく母親で今一歩不評だったが、そのうちに「家族が体調を崩した」との理由で担任が休暇を取った時には皆で歓声を上げた。
 その頃には、「ブー」の衛藤もほとんど学校で見かけなくなっていた。
 全て、翔太の思い通りになる。やはり彼は、優れた人間だ。

 だから恭子に別れを告げられるのは、彼にとって晴天の霹靂だった。
「あんたって、やっぱサイテーだわ。あたしも人の事言えないけど、もう付き合ってらんない」
「最低って言われてもさ、どの辺がなわけ」
「自分がサイテーだと分かってないあたりが、サイテー」
 吐き捨てるようにそう言って、彼女は翔太の元を去った。
 最初は向こうから寄ってきたくせに、自分勝手な女だ。何でも翔太の言う事を聞いて、あの「ブー」衛藤の件だって、それほど抵抗もなく話に乗ってきた。
 それなのに、衛藤が何かの病気で入院した途端、手のひらを返したようにこの態度だ。彼の何を「サイテー」と言いたいかは知らないが、全く人の事は言えないだろう。
 別に恭子がいなくなった所で、何の問題もない。翔太は顔にも自信があったから、女子からの人気もそれなりにある。女に不自由はしない。それは彼が優秀な証拠だ。
 翔太は優秀、優秀なのだ。他より、ずっと優れている。
「クソっ!」
 恭子の言い捨てた「サイテー」の響きが耳から離れなくて、彼は小さく罵声を吐き、地面を蹴りつけた。彼が何かに劣っているはずもない。
 久々に見下ろした土の表面に、黒い筋が列を作ってうねっている。幼い頃にお馴染みだった蟻の群れだ。腹のムカつきをぶつける様に、そこを革靴の踵で踏みにじった。音のない無数の断末魔が、足元から翔太を少しだけ満たす。
 けれど、満たしきることはない。
 潰れる蟻が与えてくれるのは、常に一瞬だけの満足。
 そこから目を背け、飢えた心を埋めるために、彼は踏みにじる物を探す。それは怯えた目の惨めな「ブー」であり、疲れた顔をした担任、そして他の、彼が踏みつけてきた人間達だ。
 彼の手で潰れていく何かを見るたびに、彼は己の優位を確認できた。
 彼は「他よりずっと凄い子」。そうでなくてはならない。
 どうしてそうあらねばならないのかも知らず、彼は闇雲にそうあり続ける。
 
 
 明日はきっと、翔太と仲間達の新しいターゲットが決まる。
 彼を見下した少女に、卑屈な表情という物を教えてやらなければいけないだろう。 
  
 
 
 
 


テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学


【2006/02/09】 | お題 |

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