小咄未満。全てフィクションです
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人形の婚約者



【目次】(原稿用紙49枚)
序.愛しいあなた
一.拾い物は何ですか
二.人形の婚約
三.我が想う人は
四.これは恋の写し身
終.見守る者




   序.愛しいあなた

 青年はこの上なく悲嘆に暮れていた。羽毛の作り出す柔らかな布の襞に埋もれて、青白い小さな顔がそんな彼を優しく見つめる。
「泣かないで、セバス。あなたが側にいてくれて、わたくしは幸せだったのだから」
「まだ終わりじゃないよ! まだ、一緒に色んな思い出を作っていかなきゃいけないんだ。子供のたくさんいる温かい家庭を作ろうって、約束したじゃないか」
「ええ。あなたは、わたくしに夢を見させてくれた。とっくに諦めたはずの光景を、思い出させてくれたの。とても感謝しているわ」
 肉の削げ落ちた腕がゆっくりと持ち上がり、青年の顔に触れる。頬へ落ち掛かっていた鳶色の巻き毛がその指をふわりと撫で、絹糸も適わない艶やかな触り心地に、青褪めた薄い唇が笑みを形作った。
 彼女はこの終焉に酷く満足していた。長く生きられない事は、生れ落ちた瞬間から定まっている。医療の粋を尽くしても、この辺りが限界。そして彼女は、予想よりも長く人生を楽しめた事実を喜びと捉えられる女性だった。
 その最後の楽しみに、美貌の青年が一役買ったのは明らかだ。彼女は美しい物が好きで、また確かな審美眼を持っていた。青年の細く繊細な鼻稜と、それに連なる鳶色のなだらかな曲線。同じ色の睫毛は涙に溶け出す深海の青を柵して守り、少し厚めの下唇に滲む怠惰な性癖が作り物めいた造作に甘い息吹を与える。この青年を一目見た瞬間からずっと、彼を視界に入れるたび、ぞくぞくとした感覚が彼女を捕らえた。
 その綺麗な歯並びを見つめながら、彼の語る愛を聞く喜びは、死の淵に際した今なお彼女を幸福に導く。
「最期に一つだけ、お願いがあるの。聞いてくれるかしら」
「頼むから最期だなんて言わないで、ミリー。君の願う事だったら、何だって僕が叶えてみせるから」
「馬鹿ね。わたくしはそんなに欲張りじゃないわ。たった一つだけでいいのよ。わたくしのあの子、お人形のことをお願いしたいの」
 彼女とそっくり同じ色、同じ形をした細い眼が、寝台に埋もれ消えていく彼女の生命を見守っている。これからはその瞳が、彼女に代わってお気に入りの玩具達を見守っていってくれるだろう。
「お願いね」
 人形に語りかけたつもりが、涙に頬をしとど濡らした青年に手を握り締められ、彼女は軽く苦笑する。何とも可愛らしい誤解だった。







   一.拾い物は何ですか

 古いマホガニーの重厚な色合いには、磁器の白がよく映える。高い天井まで届く窓からは朝の陽光が注ぎ、紅茶の下に沈んだ模様を透かしていた。
 底面に繊細な花を描き込まれたこのカップは、この館の小さな女主人がこよなく大切にするコレクションの一つだ。デザートの果物と殺しあわない色の選びが見事で、彼女のそういったセンスの良さが滲み出る。
 口元に満足そうな笑みを浮かべ、そんな食後の時間を楽しんでいた館の主、高槻蘇芳氏だったが、ふと珍しい記事を見つけて新聞を捲る手を止めた。切れ長の黒い眼が二度三度、面白そうに瞬く。
「お兄ちゃん、どうかした?」
「撫子は覚えていないかな。雨堂さんのところの、美梨嬢」
「うーん、知らないかも」
「彼女が亡くなったみたいだ。ちょっと面白いね」
 細く巻かれた黒髪が、少女の傾げた首に合わせて幾束かたわんだ。頬に運んだ小さな手の袖口で、八重に揺れる豪奢なレースが彼女の愛くるしい容貌を強調している。
 あまりにのほほんとした光景に、同席するもう一人の人物が色素の薄い眉を震えさせた。
「貴殿ら。拙者も誰かは存ぜぬが人一人亡くなったというに、その態度は何でござるか」
「だって、知らないんだもん。悲しめるはずないじゃない」
「そういう問題ではござらん。第一、拙者は悲しめと言っておるのでない。もう少し厳粛に扱うべきと申したいのでござる」
 奇妙に時代がかった口調で言葉を紡ぐのは、淡い色の金髪も見事な十七八の少年だ。これまた滅多な場所ではお目に掛かれない美形だった。
「シグバルト、日本語の使い方おかしい」
「ふざけろでござる!」
「まあまあ、撫子もシグも少し落ち着いてくれないかい。話が続けられない」
 蘇芳が苦笑して口を挟む。この二人が喧嘩を始めるのは珍しくもないが、その結果はいつも同じ。少年が話の通じない相手にいきり立って終わると分かりきっていて、今更それを待つのも時間が惜しかった。高槻の当主はそれなりに多忙な身だ。
「僕の言い方が悪かったようだね。別に、美梨嬢が亡くなった事を面白がっているわけではないよ。この新聞にちょっと気になる内容が載っていたんだ」
「気になること?」
「ああ」
 畳んで前に置いた新聞を、綺麗に整えられた指がとんとんと叩く。紅茶で唇を湿らせて、蘇芳は一息ついた。
 金髪の少年が焦れたように声を上げた。
「師匠、結局何なのでござるか」
「美梨嬢は、雨堂の財産を自分の人形と結婚した男性に譲ると遺言したらしいんだ。聡明な女性だったけれど、随分と面白い事を考えたものだね」
「ねえ、お兄ちゃん。その人形って、もしかして……」
「そう。僕が作った子だ」
 一呼吸。二呼吸。
 三呼吸を数える前に沈黙が破れた。
「お人形、それもお兄ちゃんが作った子に遺産を残すなんてロマンチック!」
「雨堂って、あの金持ちの雨堂財閥の事でござるか。うまい話でござるな!」
 ほぼ同時に上がった声は方向性を全く異にしていて、ロマンティシズムを愛する少女の視線が、じとりと向かいの席の人物を睨めつける。
「シグバルトって、最っ低」
 
 それがこの日の朝の話。
 昼下がりの街中で、未だ機嫌を損ねたままの撫子に、金髪少年は謝らされ続けていた。
「悪かった。拙者が悪かったでござる。だから、機嫌を直してくだされ」
 右手には高く積み上げられた箱、左の肩には数え切れない紙袋、その状態で米つきバッタのように頭を下げるのはなかなか至難の技だ。
「イヤ。最近のシグバルトって、あんまり可愛くないんだもん。もう要らないって、お兄ちゃんに言っちゃおうかなあ」
「既に朝、言っておったでござろうが! おかげで拙者は追い出される寸前でござるよ」
「可愛くないシグバルトなんて、追い出されちゃえ」
 にこにこと顔だけは愛らしい微笑全開で、口調は冷たい事この上ない。行き交う人行き交う人全てが振り返るこの美少女が、目下のところシグバルトの命運を握っていた。
 彼が弟子入りを志願する人形師、名を高槻蘇芳と言うが、その腕前は生ける伝説だ。十年も前に引退して現在は一切制作に関わっていないため、彼が作った人形は今や法外な値段で市場に出回っていた。
 そんな人物だから、もちろん彼の下で学びたいと志す者も少なくないものの、高槻蘇芳は弟子を取らない事でも知られていた。多くが彼に門前払いを食う中で、何故シグバルトだけが屋敷に居候まで出来ているかと言えば、その理由は偏に彼の外見にある。
 綺麗なものに目がない蘇芳の妹が、シグバルトの容貌を大変お気に召したのだ。もつれのない真直ぐなプラチナブロンドと、当たる光の角度で様々に色を変える色素の薄い瞳。それらが彼の繊細な目鼻立ちに更なる彩りを添え、中身はともかく見かけは実に品が良い。
 そんな彼を家に置きたいと懇願されれば、妹を溺愛する元人形師に否やはなく、上記の現状に至っていた。
 幸運と言えば幸運だったが、撫子が一言「要らない」と口にすれば、彼はお払い箱まっしぐらな次第で、半ば彼女の下僕といった生活だ。それなのに肝心の蘇芳にはまだ弟子と認めてもらっておらず、そんな状態で引き下がるわけにはいかない。というか、追い出されている場合ではないだろう。
「拙者はまどろっこしいのが嫌いでござるよ! どうしたら勘弁するでござるか」
「そういう事が聞かずに分かるようになったら、許してあげる」
 瞬間、キレて手にした荷物を全て放り出したい衝動に駆られたシグバルトの前で、ふいに撫子が足を止めた。つんのめりそうになる体勢を、慌てて抱えた物ごとバランスを取る。
「撫子氏、何事でござる」
「ねえ見て! あの子」
 彼女が真直ぐ伸ばした人差し指の先に、背の高い女性が一人歩いている。雑踏に紛れた姿は取り立てて目立たず、シグバルトには彼女の言わんとするところが分からなかった。
「あれがどうしたでござる」
「あの子、私と同じ!」
「は? あれも人形なのでござるか」
「それも、お兄ちゃんが作った子だよ」
 長い黒髪、すらりとした身体、姿勢のよい歩調は小気味いいが、それだけの女性。
「まさか。あんな不細工な人形はいないでござるよ」
「シグバルトって、最低な上にバカ?」
 思いっきり足を踏みにじられ、とうとう荷物を雪崩させた彼は、痛みよりもその現象に悲鳴を上げた。誰が拾うと思ってんだ、このガキ。そんな悪態はもちろん心の中だけに収まり、彼は例の女性の方へ走っていく少女の背中を見送る。
 大人に見えた姿が、実は十五前後の娘だったと彼が知るのは、撫子がその手を引いて戻ってきた時だった。
「シグバルト。この子、迷子なんだって」
 随分と大きな迷子もいたものだ。







   二.人形の婚約
 
 自動人形が世に出て二世紀半が過ぎようとしているが、未だ庶民には縁のない高価な品である事に変わりない。ボディへ詰め込まれた技術に掛かる費用は言うに及ばず、表層に使用する樹脂の品質、眼球の宝石など数知れぬオプションまで含めると、量産型でさえ資産家でないと手が出せない。名のある人形師による注文品では、価格は優にその二倍三倍を超えた。
 それでも自動人形の需要が尽きないのは何故か。諸説あるにせよ、一般には人形が人の夢であるからと言われていた。人がこうありたいと願った形。恋人への夢を託す形代。人形が自ら動くに至ったのは近年だが、古来より人は自分達の写し身を愛し続けてきたのだ。
「だから、人形とは美しい物だと思っていたでござる」
 しみじみと客人の顔に見入りながら不届きな発言をするシグバルトの腹部を、華奢な肘が思いきりよくどついた。
「本当にごめんなさい。自己紹介しとくと、私は高槻撫子っていうの。この失礼なバカはシグバルト、我が家の居候」
「私は、雨堂家所有のミリーと申します。それで……あの、本当なのでしょうか。あなたがマイスターの妹だと仰るのは」
「うん。雨堂美梨さんが十一年前に出した注文で、高槻蘇芳があなたを作った。シリアルナンバーは二十三。間違いないよね?」
「はい」
「ちなみに、私のナンバーは二十四だよ」
 撫子が髪をかき上げ首を差し出すと、項の生え際に黒い漢数字の刻印が覗く。それを確認して、ミリーの細長い面にようやく安堵の表情が広がった。

 リムジンの座席は撫子の趣味で、紫のベルベットを張ったソファが作り付けられている。そして、この車を使う時は菫のフレーバーティーと相場が決まっていた。
 温かく漂う芳香の中、菫の砂糖漬けを摘むゆったりとした時間が彼女のお気に入りで、シグバルトはよく付き合わされる。石鹸を噛むようでこの匂いが好きになれない彼は、今日の客人が至極ありがたかった。求められた感想に正直に答え過ぎて、撫子に向こう脛を蹴りつけられるなんて事故が起きなくて済む。
 迷子の人形を自宅へ送り届ける道行きでも、ティータイムはいつものように催されていた。
「私は買い物だけど、どうしてミリーはあんな場所にいたの? ご主人のお葬式が終わったばかりだよね」
「車の窓からセバスチャン様のお姿を見掛けたもので、思わず飛び出してしまったんです。でも一人で外に出るのは初めてで、迷ってしまって」
「馬鹿でござるな」
 余計な口を挟んだシグバルトの足を、編み上げブーツの適度に尖った爪先が蹴り上げた。
「シグバルトは発言禁止」
 悶絶する彼を置いて、会話は続けられる。
「ごめんね。それで、そのセバスチャンさんって誰?」
「亡くなったお孃様の、婚約者だった方です。お孃様のご遺言が公開された直後に突然お姿をお隠しになってしまわれて、雨堂の家では皆が探しています」
「美梨さんの遺言って、あなたに財産を遺すとかいう」
「いいえ、とんでもない! お孃様が遺産相続人にと望まれたのは、セバスチャン様ですわ。けれどわたくしの行く末を心配して、わたくしと結婚した方に遺すという形を採ってくださったのです。ただ、それが……」
 ミリーが顔を伏せると、長い艶やかな黒髪が膝に落ち掛かり、さらさらと音を立てる。脛の痛みから何とか立ち直ったシグバルトは、その感情表現の見事さに感嘆した。高価にも拘わらず優れた職人の手による人形が求められる理由は、その細やかな動作ゆえだ。量産型ではこうはいかない。悲嘆を漂わせるミリーの声音は、もはや人が設計したものと思われなかった。
「ミリー、どうしたの?」
「お孃様のご遺言は他にも、セバスチャン様にわたくしと婚約してくださるようにと願っておられました。とてもお嬢様を愛してらした方ですから、それがお辛かったのではないかと思うのです」
「……なんてロマンチック!」
 きらきらと眼を輝かせて見当違いに感嘆する撫子に、客人が驚いて顔を上げる。悲恋話が、彼女の乙女趣味に訴えたらしい。呆れた溜め息をつくシグバルトだったが、とりあえず彼も気になっていた事を尋ねてみた。
「ところで、そのセバスチャン氏とは何者でござる? 名を聞く限りでは、この国のお人ではないようでござるが」
「セバスチャン様は、お孃様が欧州で出会い婚約なさっていた男性です。ド・シャンティの伯爵位を持っていらっしゃいます」
「ド・シャンティ伯爵? なら南欧州でござるな。確か、相当の貧乏貴族でござる」
「ええ。お孃様が援助なさってました」
「そうでござろう」
 撫子がきょとんと大きな眼を見開いて、そんな彼に顔を向ける。
「シグバルト、そのおうちを知ってるの?」
「当然でござる。欧州は、拙者の地元でござるからな。貴族の名鑑とその金の有る無しは、全て覚えているでござるよ」
 得意げに形のよい頭を振ってみせる彼の横で、その発言に完全無視を決め込んだ撫子が黒髪の少女の手を取った。
「セバスチャンさんの気持ちも分かるけど、探してるミリーのために彼が見つかるよう祈るね。私の方でも、もし何か分かったら報せるから」
「ありがとうございます。見ず知らずの方なのに」
「いいのよ。同じお兄ちゃんが作った人形同士、姉妹みたいなものじゃない」
「撫子さん……」
 人形達の間に麗しい兄弟愛が育まれる横で、シグバルトが白けたように頭を掻いた。
「心配せずとも、すぐに見つかるでござるよ。ド・シャンティの放蕩息子は、金のない生活が出来るような男ではないはずでござる」
 恐れを知らぬ発言に、本日三回目の撫子による鉄槌が下されたとか下されなかったとか。







   三.我が想う人は

 シグバルト・エクベリが担ぐ風呂敷の中には、いつだってガラクタばかりが詰まっている。廃工場や裏路地の店など、彼の鼻はそういう物が集まる場所を敏感に嗅ぎ分け、初めての場所でも目当てを見つけるのはお手の物だ。彼以外にとっては何の価値もない古い部品から、それなりに使える機械を組み立てるのが彼の趣味兼本業なのだ。
 本日は高槻兄妹が揃って何某かの会食に出掛けたので、彼は久し振りの材料仕入れに下町へ降りていた。撫子が一緒では治安が悪い場所に足を運べないから、彼女の不在は良い機会だ。高価な自動人形という素性以前に、彼女の容姿は良くない輩を寄せ付ける。
 もっともそういう意味ではシグバルトの外見も十分に人目を引くわけだが、彼は自分に関しては全く無頓着だった。
「お兄さんッたら、キレイなお顔! アタシ、そんなお兄さんにぴったりのお仕事知ってるんだけどなァ」
「わりぃけど俺、そういうの興味ねえから」
 カールしたピンク色の髪にラメが光る中年男が、キャミドレスの裾をフリフリさせながらしなだれかかるのを無感動に断りながら、シグバルトは先を急ぐ。撫子の帰宅までに屋敷へ戻るため、もう少しペースをあげようかと考えた矢先の事だった。
 太陽はまだ高いものの、つるべ落としの秋だから暮れる時には瞬く間だろう。陽光を照り返す古びたアスファルトの地面は色褪せて所々に剥げ、荒んだ町並みに似合いの風情となっていた。かつての度重なる地震で半ば崩壊した建物に住み続ける人々は実にたくましく、軒先を連ねる店の種類は全くとりとめがない。
 シグバルトの目当ては二軒先に見える工具店だが、その向こうの店先には安っぽい衣料品が並び、手前は酒場。一体何を売りにしている一帯なのか判然としないにも拘わらず、通りは賑わっているとは言わないまでも、それなりに人出があった。
 先ほど彼が避けて通ったピンク頭の生物がいた店はどうやら男娼を扱うらしく、派手で薄っぺらな装飾が傾いた家屋の壁面に趣向を凝らしている。何気なくそこに視線を戻した彼は、そこの客寄せ窓に集まった人々の数に軽く驚かされた。
 性の乱れなど指摘するのも馬鹿らしい時代だが、昼間から男娼専門店に人だかりが出来るのは珍しい。さぞ色気のある商品でも据えているのだろうと野次馬根性に引かれ、シグバルトもそちらに近づいてみた。そんな彼に気付いて、ピンクの客引きがまた寄ってくる。
「お兄さんッたら、気のなさそうなこと言うくせに実は好きなのねェ。お兄さんみたいなコには、ホントはお店に入ッてもらいたいんだけど、お客さんでも安くしとくわよッ」
「ねえ、おっさん。そこにおいてんの、そんな目玉なわけ?」
「そりゃもう! 最近入れたんだけど、お兄さんと張るくらいキレイなコなのよ」
 熱く拳を握るピンク中年が彼のために客の山を掻き分けると、ガラス窓にしな垂れる麗人の姿が露になった。白磁の肌に鮮やかな着物を一枚纏っただけ胸元が覗くしどけない姿で、透んだ青の瞳が物憂げに瞬く。片手には煙草、くゆる煙の中で笑む青年を視界に入れて、シグバルトはごくりと唾を飲み込んだ。
 その様子に客引きが得たりの表情を作る横で、場を構わない声が響き渡る。
「セバスチャン・ド・シャンティ? あんた、こんな所で一体何してんだ」
 窓の向こうで、男娼の顔が一気に青褪めた。
 
 コングロマリットTGは、アジア系最大の複合企業だ。その本拠地は持ち会社が全世界に散らばる現在も創始者の出身地である東京に置かれ、本社ビル百二十階の屋上に建設されたドーム内に、資本の大半を所有する高槻本家の家屋敷は存在する。
 エレベータのドアが開いた途端、地表のメタリックな喧騒から一転して出現した中世の森に、客人が感嘆の声を上げた。
「素晴らしいね! まるで童話の世界に迷い込んでしまったみたいだ」
「そういう事はうちの姫に言ってくれよ。あいつ、すっげえ喜ぶぜ」
 四千坪は優にあるスペースは大半が緑に占められ、それに埋もれるように建てられた家屋は意外にもこじんまりしている。メインエレベータの戸口は真直ぐ屋敷の玄関先へ続き、淡い色のイングリッシュローズが咲き誇るそこに、彼は車椅子の人物を見つけた。
「師匠、帰ってたんだ。撫子ももういる?」
「やあ、シグ。あの子は家だよ。僕の方は今からまだ一仕事。ところで、そちらの方はどなただい」
「こいつ? セバスチャン・ド・シャンティって放蕩貴族。ダウンタウンで見つけてさ、なんか撫子が探してたから連れてきた」
「ああ、雨堂の。道理でお顔に見覚えがあると思いましたよ」
 未だ半裸のような相手の風体を気に掛ける様子もなく、高槻蘇芳は優雅な礼を取った。遥か下にある車椅子の目線に気圧されたように一歩退いて、セバスチャンが古典的な仕草で会釈を返す。
「このたびはご愁傷様でした。何度か美梨嬢と御一緒の折に、お目に掛かりましたね。雨堂財閥の経営にもお加わりだとか」
「……やめてください! もう過去の話です。ミリーと過ごした幸せな時代を振り返る権利なんて、僕にはないのですから」
「何言ってんだ、お前」
 胸を押さえ悲痛な面持ちで上を仰いだ客人の様子に陶酔を感じ取ったらしく、シグバルトの呆れ声が飛んだ。それを蘇芳が苦笑してたしなめる。
「いいんだよ、シグ。彼も辛い事があったばかりで、色々思うところがあるんだろう」
「だけどさ。こいつ放っとくと、さっきから訳分かんねえことばっか言ってるぜ。つーか、行動もさっぱり意味わかんねえけど」
 シグバルトが頭の横で手をひらひらさせる。
「君は失敬だな! 僕のミリーを想う気持ちをそんな風に茶化さないでくれないか」
「まあまあ、セバスチャンさん。シグは少し率直過ぎる嫌いはありますが、そう悪い子ではない。僕に免じて勘弁して下さると助かります。ところで、なぜダウンタウンにいらしたか伺ってよろしいですか。雨堂の方ではあなたの捜索願が出されたと聞いています」
「こいつさ、金稼ぐためとか言って怪しげな店で客寄せパンダやってんの。金がいるなら雨堂から逃げなきゃいいのに、馬鹿な奴」
「シグ。僕はセバスチャン氏に伺っているんだよ」
 高槻の当主は当年三十歳を数えるが、年の割に若く見られる女性的な顔立ちを優しく笑ませて、セバスチャンに向き直った。切れ長の眼に他意はなく、不自由な体に似合わぬすっきりとした動作が、周囲の人間にも自然と居住いを正させる。この南欧の貴族も例外ではなく、軽く身じろぎして蘇芳に応えた。
「僕は……僕は、ミリーの愛に相応しくない男だったんです。ミリーはあんなにも、僕を愛してくれたのに。僕は汚い人間です」
「ほう」
「ミリーは賢い女性だったから、僕の打算なんて見抜いていると思っていました。だけど、違った。彼女はあんなにも純粋な愛を僕に捧げていてくれたのに」
「純粋、というと」
「それは」
 切々と語られる胸の内に、顎を指で叩きながら神妙な表情で耳を傾ける高槻蘇芳だったが、背後で扉が開く音に語り手から注意を逸らした。振り返ったその顔に、先ほどセバスチャンに向けたものとは明らかに種類の異なる笑顔が広がる。
「お兄ちゃん、まだお出かけじゃなかったんだ! あれ、お客様?」
「拙者もいるでござるよ」
「シグバルトはいいの」
 今日の撫子は、緩くウェーブした金の髪に菫色の瞳、繊細なレースで出来た揃いのボンネットとドレスは真白という出で立ちだった。駆けてくる動く西洋人形を、車椅子の蘇芳が抱き止める。人形の特権で髪や瞳を自由に取り替えられる少女は、その日の気分で様々に装おうが、愛らしさだけはいつも変わらない。そんな妹を膝に乗せ、彼は非常に誇らしげに、驚き顔の客人へと紹介した。
「セバスチャンさん、こちらは妹の撫子です。撫子、御挨拶をしなさい」
「うん。初めまして、お見知りおきを。ねえセバスチャンさんって、もしかしてミリーの婚約者の?」
 答えに詰まったセバスチャンの代わりに、少女の兄が相槌を打つ。
「そうだよ。僕はそろそろ会社の方に行かなきゃいけないけど、撫子にお客様のもてなしを頼んでいいかな」
「うん! 任せて」
 こっくりと笑顔で頷く彼女に、可愛くて堪らないとでもいうように蘇芳が眼を細めた。二人のそんな様子に、慣れない目撃者が曖昧な表情を作る。
「気にしないでござるよ。あの二人は、いつもああなのでござる」
「いきなりそんな妙な喋り方を始めて、どうしたんだい」
「それこそ気にするなでござる。撫子氏がこれを気に入っているのでござるよ」
「どういうことか、よく分からないが」
 シグバルトはわずらわしそうに手を振り、それ以上の説明をしなかった。撫子が目の前にいる限り彼の関心が他に散らないという事実を、付き合いの浅い客人はまだ知らない。







   四.これは恋の写し身

 優美な曲線を描く脚に絹地を張った一人掛けのソファは、客人に良く似合った。まさか色子な格好のままでいるわけにもいかず、シグバルトの衣類を拝借した彼は、椅子に浅めに腰掛けて怠惰な仕草で足を組む。主に撫子の嗜好でクローゼットに詰め込まれていた服の一部がようやく日の目を見たわけだが、一見したところ明らかに本来の持ち主よりセバスチャンに相応しかった。
「すごい! 本当の貴族みたいに素敵だわ」
「撫子氏、奴は本物の貴族でござる」
 うっとりと手を組んで眼を輝かせる撫子に、すかさず入った指摘は誰からも無視された。下町での面影など欠片も残さず、夜会ばりの礼服を見事に着こなした古い血筋の青年は、女主人の登場に席を立ち、実に優雅に彼女の手を取った。
「先ほどはあのような姿で失礼しました。あなたのように可愛らしい御婦人の前で、礼を失するとはド・シャンティ末代までの悔やみです。どうかお許しください、美しい方」
「ううん、とんでもないわ。セバスチャンさんをお招きできただけで、光栄だもの」
 桜色の爪先に口付けられて、すっかりその気な様子の少女に、シグバルトが憮然とした表情を見せる。彼が持たされた盆の上で、白磁の器が揺れて澄んだ音を立てた。
「お兄ちゃんに、あなたをおもてなしするよう言われたんだけど、紅茶でいいかな?」
「ええ。あなたが与えて下さる物でしたら、どんな物でも宝玉の味わいでしょうが、それが手ずからの紅茶ともなればまた格別に違いありませんね」
「それはそうでござろうな。飲み水も買えずにあんな場所で働いていた身上でござる」
 顔だけ笑んだ撫子が、勢いを付けて彼の足を踏みつけた。もちろんシグバルトの手から茶碗の乗った盆はとうに奪い去られている。彼女が大切な食器を危険な目に遭わせるはずはなかった。
「シグバルトは永久に発言禁止」
「くっ……でござる」
 いくら傍若無人に振舞われても、彼はこの少女にだけは逆らえない。
 セバスチャンの方は自身の貴族的な振る舞いに陶酔している様子で、今の一幕に何も関心を示していなかった。器に注がれた琥珀色の液体を気取った動作で口に運び、長い嘆息を吐く。額に落ちかかってきた鳶色の巻き毛を美しく撫で付け直しながら、彼はおもむろに口を開いた。
「よろしければ、午後の徒然に、この愚かな男の懺悔を聞いてはいただけませんか。これ以上、僕一人の胸に収めたままでいるのには耐えられそうもない。僕はきっと、誰かの断罪を求めているのです」
 眉を顰め、苦しみを吐き出すようにそう口にする青年は大変絵になり、そういった場合シグバルトがいかに辟易していようと、話は勝手に進められる次第だった。この家の女主人は何より、ロマンを感じられる物が好きなのだ。
「うん。ロマンチックなお話は大歓迎!」
 頬杖をついてすっかり聞く体勢の彼女に呆れ顔をしつつ、やれやれとシグバルトもその隣に腰掛けた。
 
 彼と彼女が出会ったのは、今から十一年前の夏のこと。東アジアの財閥令嬢は十五の誕生日パーティーに南欧の老舗ホテルを会場に選んだ。この年、彼女が親代わりの祖父母から贈られたのは、彼女そっくりの自動人形一体と、たった一つの恋。
 イスラムの建築を模した白亜の宮殿、贅を尽くした宴はその中庭で行われた。空には半月、煌々と辺りを照らすかがり火に星明かりは紛れ、人々の喧騒が夜の静寂を覆い尽くす。十五の少女は、彼女のためにある騒ぎを一段高い場所にしつらえられた籐の長椅子に凭れて眺めていた。二十歳まで永らえるまいと言われて育った彼女は、唸るほどの財を抱えた祖父母に手中の珠のごとく愛されて育ったが、その眼からは常に冷えた印象が拭えない。
 与えられたばかりの人形は本当に彼女そっくりで、それを椅子の足元に座らせて、骨も露な細い指で彼女はその黒髪を梳いていた。その髪だけが、彼女と人形の相違点だ。人形の持つ上質な湿り気を帯びた髪は、彼女が望んで得られず、せめて写し身に与えたいと注文したものだった。それ以外は、重たい一重まぶたも薄い唇も低い鼻も、全ての点で一人と一体は瓜二つだ。彼女のいずれ動かなくなる身体は、人形の終わりを知らぬ身体に姿だけを写した。
 彼女がその日人形を側に置く理由は、もちろん気に入ったからだが、もう一つの誕生日プレゼントである婚約者をからかうためでもある。先の長くない彼女に喜びを与えるためと祖父母が仕組んだ婚約を、本人は皮肉な視点で捉えていた。恐らくは実際の婚礼が果たされる時期を待たずに終わる約束に、何の意味があるだろう。
 だが時に現実は、悲観を優しく裏切る。
「あなたが、ミリー?」
「いいえ、わたくしは美梨よ。人形と間違わなかったのは合格だけれど、婚約者の名くらい性格に発音なさいな。それであなたも、何かしらの利益を得るのでしょう?」
「ええ。僕は今夜、ここに恋をするために招かれたのですから」
 彼女を愛しむ祖父母は、彼女が思うよりもずっとその好むものを熟知していた。夢を見る事を諦めた少女に、夢を与えられる男性を。
 それで南欧の潰れ掛けた伯爵家は財産と領地を失わずに済み、少女は残された時間に希望を見出す。
「恋は、何よりもの対価です。僕には難しい発音ですが、ミリ、あなたのための努力なら惜しくない」
「……ミリーでいいわ。あなたの名前を教えて」
「セバスチャン」
 それから彼は、ずっと少女の側にいた。祖父母が老衰で逝った時も、涙を流さない彼女の震える手を握り締め、その痩せた体が死の床に沈みきるまで片時も側を離れず。
 
「彼女は最後の瞬きの時まで、僕の手を握り締めていました。医師が臨終を告げてもそれを離せなくて、ミリーの温もりが失われていくのを、この手でずっと……」
 俯いた彼がテーブルの上で握り締めた拳に、雫が滴った。セットの緩んだ鳶色の巻き毛が覆いになって、青年の表情を隠す。
 一方の聞き手は、見開いた目を感動に潤ませる一人と、大口を開けたところで話が終わり欠伸を噛み殺す一人。それがどちらの態度か、敢えて説明する必要はないだろう。
「なんてロマンチック……。政略の絡んだ出会いから、二人は本当の愛を育んだのね!」
「へ? そういう話でござったのか?」
 口々の感想を受けて、セバスチャンは激しく首を振った。
「違うんです! 僕はミリーに愛される資格なんてなかった。彼女の側にいたのは愛ではなく、伯爵家の未来のためでした。ミリーの祖父母との契約で、彼女に残った時間を楽しませる引き替えとして毎年まとまった額が僕の口座に振り込まれていたんです。彼女だって、その事を知っていたはずなのに」
 買われた婚約者が偽りだった愛を懺悔する。その意図が掴めなくて、シグバルトが口を挟んだ。
「それで何が問題なのでござる? 契約は果たされて、美梨氏は満足のうちに逝ったのでござろう。これで伯爵家は安泰、貴殿も自由、特に困った事はないでござる」
「あるさ。よりにもよってミリーは、この僕に全財産を遺そうとしたんだよ! この意味が分かるかい」
「おお、それは目出度いでござるな。雨堂の金があれば、貧乏貴族の二十や三十は楽に持ち直せるでござる」
「君はっ!」
 激したセバスチャンが机を叩き、軽く宙に浮いた茶碗から中身が零れる。撫子の眉がほんの少し動いたが、客人の粗相では表情が引き攣るまでに至らなかった。
「失礼……君のような人には分からないかな。撫子さん、あなたなら理解してくれますね」
「う、うん……まあ」
 歯切れ悪くも同意した彼女の手を青年が取ろうとして、それをシグバルトが横から強く振り払う。
「撫子に触るな!」
「シグバルト、やめて」
「……すまぬでござる」
 居候の無礼に、撫子が代わって頭を下げる。
「ごめんなさい、セバスチャンさん。この子、たまに変なこと言い出すの。……ところで、あともう一人お客様をお招きしてるんだけど、彼女もここに加えていいかな?」
「ええ、もちろんですよ」
「ありがとう。もうそろそろ来てるはずだと思うの」
 突然の申し出に首を傾げつつも頷いた客人に愛らしく微笑んで、女主人は机の上にあったベルを鳴らした。しばらくの沈黙の後、部屋の扉から使用人が姿を見せた。
「彼女はもう来てる?」
「ただ今、御案内させて頂きました」
 その後ろから現れた人物を認めて、セバスチャンが一歩後ろに下がり、椅子の足が床に擦れる嫌な音が響く。
「ミリーの人形じゃないか!」
「セバスチャン様、お探ししました。どうして、お孃様の遺言からお逃げになるのです」
「それをね、今話してもらってたの。ミリーにも聞く権利があると思う。セバスチャンさん、そうだよね?」
 十一年前の姿とはいえ死んだ婚約者そっくりの人形に対する躊躇いを、セバスチャンは隠さない。それに構わず撫子は新しい客人に席を勧めたが、彼女は首を振った。
「ありがとうございます。でもわたくしは、ここで結構です。疲れませんもの」
「ミリーったら、そういう問題じゃない。それを言ったら、私だって人形だよ」
「いいえ! そうではなくて、これはお孃様の願いなんです。身体の弱いお孃様に代わって、わたくしにはいつも元気に動き回っていて欲しいと仰って」
「そうなんだ……」
 艶やかな黒髪の頭を翻してミリーが青年に歩み寄り、それから逃れるように相手はまた背後に下がった。
「ですからセバスチャン様。わたくしは、亡きお孃様が望まれた事を全て叶えて差し上げたいんです。お孃様ではなく、わたくしのような人形と結婚なさるのはお嫌でしょうけれど、どうか雨堂に戻ってきてくださいませ」
「……僕は戻れないよ。君が問題なのじゃない。僕はミリーを打算的に見ていた自分が許せないんだ。こんな僕に、ミリーの愛を受け取る資格なんてない。僕は、彼女が僕の打算を知ってそれでも愛していてくれた事に、彼女の遺言を聞いてようやく気付く愚か者だ」
「その罪悪感が、お孃様を想って下さっていた証だとは、お考えになれませんか」
「想った証?」
「はい。わたくしは人形ですから、自分でも感情を理解できるのかどうか判りません。ですが、わたくしは主人であるお嬢様を誰よりも大切に考えておりましたし、そのお嬢様を尊重してくださるセバスチャン様を今、とてもありがたく思っています」
「何が言いたいんだ」
「お孃様を大切に思って下さるからこそ、お孃様を裏切られていたご自分をお許しになれないのでしょう」
 歩み寄り続ける人形に、足を止めたセバスチャン。自ずと彼女は青年に近くなり、その真青な瞳を下から見上げる。十五の少女を模した面は柔らかく笑み、彼に十一年前の夜を思い出させた。聡明な鋭い眼差しを、彼の前で微笑みに溶かした少女の面影。
「でも、どうかお忘れにならないでください。お孃様は、そういうあなた様だからこそ、そういうあなた様の全てを、愛しく感じておられました」
「こんな僕を……そんな馬鹿な」
「どうかお疑いにならないでください。わたくしはお孃様の人形、お孃様の想いをこの身に写しているのですから」
 細い両手がセバスチャンの腕をすくい、その掌を彼女の胸元に当てる。
「ミリー……」
「ええ。それは、お孃様がわたくしに下さった名前です。十一年前の、誕生日の夜に」
 にっこりと、彼に恋した少女が笑んだ。







   終.見守る者

「へえ。それでどうなったんだ」
「どうもこうもねえよ。それからあのアホ貴族はお人形とお手てつないで帰って、遺産手に入れましたとさって話」
「まあ、そうだろうね」
 相手のご機嫌斜めな口調に苦笑して蘇芳が書類から目を上げると、声の主は思いっきり顔を顰めながら手元の機械をいじっていた。
「で、どうしてシグが不機嫌になるかな」
「だって意味わかんねえじゃねえか。あのバカ、一体何がしたかったんだ? なーんか結局ウマい汁だけ吸ってやがる気がしてさ」
「まあね。彼は自分で意識してなかったにしろ、元々そのつもりだったろうから。シグが彼をダウンタウンで見つけた時も、あっさり付いて来たんだろう?」
「ああ。声掛けた途端真青になって『見つかってしまった』とか何とか呟いてたけど、連れて帰るっつったら普通に従ったぜ」
 高槻蘇芳の書斎はいかにも彼らしく綺麗に整頓されていて、少年の陣取った一角だけ散らかっているのがやけに目立つ。シグバルトはその狭い場所へ勝手に器材を運び込んで、すっかり自分の研究スペースに改造しており、蘇芳から眼を離さない態勢だった。
 弟子は取らないと明言する彼だが、シグバルトの領地侵害を特に不快と思っている様子はなく、時折は仕事の合間に今のように気安く言葉を交わしたりもする。それを楽しんでいる素振りさえあったが、人形作りについて話が及ぶと彼はいつもするりとかわした。
「セバスチャン氏は誰かに見つけて欲しかったんだろうね。罪悪感に負けて去った自分を周囲が無理に引き戻したという形にすれば、一応の言い訳がつく」
「意味わかんねえ。誰に言い訳すんだ?」
「自分さ。ああいうタイプの人間は、得てして自分しか見えていないからね。自己陶酔に浸るあまり、理屈では説明しにくい行動を取る事があるんだよ」
「理解できねえな」
「まあ、シグにはね」
 小さく品の良い笑い声を漏らした彼に、苛立った様子でシグバルトが、手元に完成した怪しげな機械をレンチでがつりと叩いた。
「馬鹿にすんな」
「そうじゃなくて、褒めてるんだ。シグはああいう思考に縁がなくて良いね。人それぞれだろうが、僕は陶酔型の人間はあまり好きになれない。自分に近いせいかな」
「師匠もあのバカみたいな事やんのか? 俺と撫子が迷惑だから止めろよ」
「僕だったら、もっと分かりにくく行動するから安心してくれ」
 非常ににこやかな蘇芳と、釈然としない顔のシグバルト。
「……何か違う気がすんだけど。でもさ、その死んだ美梨とかって人は、よくあんなバカに財産なんか遺す気になったよな。あいつの本性、見抜けてなかったのかな」
「どうだろう。僕は人形のミリーが言っていたように、彼女は全て分かった上でセバスチャン氏を愛していたんじゃないかと思うね」
「俺には理解できねえな」
「そうかい? シグが撫子にいくら邪険にされても、あの子が大好きなのと同じだよ」
「な……っ。そんなんじゃねえ!」
「まあ君がいくら足掻いても、あの子は僕が好きだからねえ。頑張ってくれたまえ」
「ふざけるなっ……でござる」
 顔を真赤にして怒鳴りつけていたシグバルトの声は、かちゃりと開いたドアの音に急速に語尾を萎ませた。扉の影から、お盆を手にした西洋人形が顔を覗かせる。その手が細かく震えているのは見間違いではなかった。
「シグバルト……今、お兄ちゃんにとっても失礼なこと言ってなかった?」
「き、気のせいでござる」
「まあまあ、撫子。僕も悪かったんだ」
「お兄ちゃんったら、シグバルトが悪いに決まってるじゃない」
「何ででござるか!」
 問答無用で一人悪者にされたシグバルトを置いて、書斎机の上に略式のティーセットが並べられる。
「差し入れを持ってきたの。お兄ちゃん、お仕事お疲れさま。今日はお仕事の最中だったのにミリーを呼んでくれて、ありがとう。おかげでセバスチャンさんと一緒に帰れて、あの子嬉しそうだった」
「撫子の頼みだからね。それに雨堂とはこれからも親しくおつき合いしていきたいと考えているんだ。美梨嬢はなかなか手強い経営者だったけれど、セバスチャン氏がそれを引き継ぐんなら少し心配が残るしね。うちで総力を上げて、バックアップしていこう」
「うん。ミリーが心配だもんね」
「……師匠、雨堂財閥を傘下に取り込むつもりでござるな。やけに協力的だと思ってござったら、やはり腹黒い計画を企んで」
「シグバルト! 何てこと言うの」
 憤慨した撫子の背後で、その兄が緩く微笑するのを見せつけられ、少年は口元を引き攣らせる。彼の師匠は、つくづく一筋縄でいかない人物だった。
「そ、それより撫子氏。今夜は何のお茶でござるか」
「シグバルトの分はないもんね。菫のお茶、嫌いでしょ」
「でも器が三客あるでござるよ」
「これは、私が二杯飲むんだもん!」
 眉を吊り上げて少女は、彼から思いっきりそっぽを向いた。ナイトキャップから零れた髪の束が薄紅色の夜着にぶつかって、ぱつりと可愛い音を立てる。ふっくらとした頬が赤く染まっていた。
「撫子、そんな意地悪するんじゃないよ」
「……お兄ちゃんがそう言うなら」
「そうでござる! それに撫子氏、今日からの拙者は違うでござるよ。このメカのおかげで、もう菫の香りなぞ恐るるに足らず、何杯でもいけるでござる」
 下町で仕入れた部品で完成したばかりの機械を手に、シグバルトが誇らしげに宣言する。
「それ、何なの?」
「拙者の新しい発明品でござる。これは対象物中の菫の香りを放つ匂い物質を無効化し、無臭の飲み物に変えられる優れ物なのでござるよ」
「つまり、紅茶をお湯に変えるんだね」
「その通りでござる!」
 苦笑する蘇芳の注釈に力強く同意が返り、下を向いた撫子が拳を震わせた。
「シグバルトって、最っ低!」
「ど、どうしてでござるか。拙者は撫子氏が淹れたお茶を美味しく飲むために……」
「そんなこと説明しなくても分かるまで、二度とシグバルトとは口きかないから」
 堪えきれずに吹き出した蘇芳の笑い声が、書斎に響き渡る。それに混じって悲痛な少年の声と、少女が鼻を鳴らす音。
 女心が分からない少年の恋が叶う日は、まだまだ当分先のようだった。









【2006/07/10】 | 人形の館 |

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